ソーダストリーム工場とパレスチナ人ベドウィンの強制移住(地図付)

ソーダストリームの工場とパレスチナベドウィン強制移住との関係について、地図を交えて解説します。

現在、ソーダストリーム工場があるマアレ・アドミーム入植地の周辺には20余りのベドウィン集落が点在していますが、昨年イスラエルは、同入植地を拡大するために、これらの集落のほぼ全ての住民、約2300人を強制移住させる計画を発表しました。

下記の地図は、この計画について、国際人権団体アムネスティ昨年発表したレポートから転載したものです(若干の編集を加えています)。ミショール・アドミーム工業団地の北西角に赤字のSで示されている場所が、ソーダストリームの工場です。そして、青色の五角形で示されているのが、今、生活喪失の危機に直面しつづけているベドウィン集落です。

マアレ・アドミーム入植地は、1970年代半ばの建設開始以降、その地に暮らしていたパレスチナベドウィン遊牧民)の強制追放を行いながら、拡大してきました。彼らの多くは、1948年のイスラエル建国時にネゲブ砂漠から追放された人びとでした。マアレ・アドミーム入植地の拡大の過程の一つとして、1990年代のミショール・アドミーム工業団地の建設が位置付けられます。そこにソーダストリーム工場が作られたのは1996年のことでした。正確にいえば、マアレ・アドミーム入植地の行政区域(濃い茶色の部分)の中に、住宅エリアとしてのマアレ・アドミーム入植地や、ミショール・アドミーム工業団地が含まれるということになります。

地図を見ると、ソーダストリーム工場の周辺を取り囲むように、多くのベドウィン集落があるのが分かりますが、それは、彼らの生活の場に、割り込むようにして入植地や工業団地が作られたために、そのようになっているのです。

小さくて少々分かりにくいですが、ソーダストリーム工場から北西部へ軍事基地をはさんですぐの位置にあるベドウィンの集落ビイル・マスクーブでは、1998年、大規模な強制追放が行われました。その様子は、偶然にも、BBCのドキュメンタリーを収録中であったエドワード・サイードが目撃しています。

アムネスティのレポートによれば、このときイスラエル軍によって追放された35家族は、マアレ・アドミーム入植地の南東のはずれにある「アル・ジャバル」と呼ばれるゴミ処理場のすぐ近くに強制移住させられたそうです。その中の一人だったアブー・ダウードさんは、移住先での生活について次のように証言しています。「軍が毎日監視しており、建物を建てさせてくれません。(アル・ジャバルは)私達にとって監獄です。・・・廃棄物からはガスが発生し、そのすぐ近くに私達はいます。家畜はここで生きることができません。」(Amnesty International, Stop the Transfer: Israel about to Expel Bedouin to Expand Settlements, 2012. より)


■参考
ソーダストリームのどこが問題?
何ができる?
ソーダストリーム回収キャンペーン:知らずに買ってしまった!という方へ